昭和49年05月23日 月次祭
一寸の虫にも五分の魂と云う、是は、お互いの根性の事。一寸の虫にも五分の魂があるんだと云う、私は根性を表現したものだと思うのです。ですからその、魂が、場合により時によって、一つの一心発起と云うか、その心で偉大な働きを示す事が御座います。 信心はその魂が愈々清まり、愈々安らぎ、光を放ち、その喜びと安らぎの世界に魂が安住すると云う事を願いとしたものでなからなければならない。
ですから、やはりね一寸の虫にも五分の魂と是は普通俗に言われる言葉ですけれどもその、根性がなからなければならない。自分にもこの魂この心、そのしかもその心一つでです、心の遺憾によって、人間最大の有り難いと云う幸せ、しかもそれに、人間の幸福の条件の全てが伴い、しかも無尽蔵に限りなく、親の代よりも子の代というように頂けて行く事、それが金光大神の道だと思うのです。ですからその、まず自分の魂を認めなければいけないです。ね。そこからね、その魂に取り組むと言う事に成って来るのです。
先ほど三橋先生が前講を勤めておられましたが、ね、まあ本当に有り難くなる稽古を一生懸命させて頂いておるが、有難くなれない、まーだなれていないのに、おかげだけは頂いておると云う話をしておりました。それは魂が愈々有り難うならせて頂く事のために日日信心の稽古をしておると云う、まともな方向へ心が向いておる。ね。だからまだ、有り難いとまで頂けていないけれども、有り難く頂く前におかげを頂いておる、またそのおかげが有り難いと云う事なんです。ね。
今日丁度4時の御祈念ちょっと前でした。次々とお参りのある中に、上滝さんがお参りして見えました。何か元気がない。この頃ずっと体が悪いですから元気が無いのです。今日も久留米まで、北野から電車で、そして久留米の西鉄のバスで吉井行きを待たせて頂いておるけれども待てども待てども、吉井行きが来ない。だからきつくなってからもう帰ろうと思うた。帰ろうと思いよった途端に吉井行きが来た。と云う訳なんです。「まだ神様から見捨てられてはおらんね」と云うておりました事でした。ね。
それからまあ、色々とお話しを聞いて頂いたのですけれども、まあ皆さんご承知のない方もあるかも知れませんから、上滝さんがおかげを受けて折る事を聞いて頂くとです、第一子供達に非常に恵まれておる。皆親孝行です。しかもそれぞれ、まあの、私立の大学ではあるけれども、大学も出させてもらう。就職にも良い所へ就職が出来る。または次々ともう二人三人ですかね、二人、四人の息子のうち二人はもう良い嫁を頂いて孫も次から次と良い孫を頂いておる。
家にはお母さんがまだおられまして元気である。だからお婆ちゃんが二人のようなもの。その若いお婆ちゃんがずっと何とはなしにぶらぶらしておる。もう嫁御が大変気の利いた行き届いた嫁御ですから、もう本当に自分でも今日言っておりましたが、家の嫁御だけには感謝のしい続けで御座いますとこう云う。ね。本当に主人があの様なもうそれこそもう誰だってたまがる様なおかげを頂いて一様全快の、粟粒結核と云う、もう医者が時間の問題だと云う程しのものがおかげを頂いて助かって。
当時の椛目の教会でお役に立たせて頂いておったが、ちょっとした信心の行き違いから、もうあっと云う間におかげを落された。上滝さんあんたはきっと合楽でね、歴史に残る人になるよと。それもあんたはねおかげを落とす手本、おかげを頂くのじゃなくて、おかげを落とす手本をあんたは作るよと言うておったがまさしくその通りでした。けれどもやっぱり信心を頂いておりましたから家族の者ももうそれこそ、目の前が真暗になる様な事が次々と起こってまいりましたけれども。
矢張り根性が所謂しっかりしておりますから、ね、おかげを頂いてそれこそまだ一番乳飲み子位の小さい子供が段々おかげを頂いてみんなそれぞれ成長のおかげを頂いた。そして、立派なご普請も致しました。そして先年でしたか、合楽の様に私の方は、もうぐるりと庭にすると、沢山のお金を掛けていわば、田舎百姓屋には珍しい位な、立派な御庭も出来た。自分のまあ隠居所と云う訳ではないけれども、自分の個室も出来て、もう本当に丁度品から新しく買いなおさせて頂いて。
毎年一月の24日に謝恩祭に、私参りますけれども、行く度に色々とおかげを頂いておる。云うなら一つ一つ夢が実現して、もう言う事は無いと云う所まで来たかと思うた所が、どっこいそれだけでは幸せではないという事にです、私は何とはなしにおぼろげながらにそれは感じておったのですけれども、今日ここで御理解を頂く内にですそれをはっきり把握した様な感じでしたです。ね。夢が叶うた。ね。
それこそ是はけれども上滝さん、あなた他の女子じゃとても出来はしなかったよと。あんたと云う言うならば、ね、根性もしっかりしておる、言うならばじょさいがない、商売も上手い、百姓もする。そして子供達の手足がのぶまではいうならば、血みどろの言わば働きを確かにした。だから子供達もお母さんに苦労にかけてはならん。お母さんと言わば大事にする訳です。ね。
おかげでもらった嫁も大変よい嫁で嫁御、兎に角大事にする。大事にすればやはり、だいたいがその根性もしっかりしておるし、利口ものでもありますから、毎日毎日嫁こを拝む様に言うて感謝するから、嫁ごも覚えんごとなって御用をする。だから何云う事なかろうと思うけれども、夢が実現しただけではどうにも出来ない所まで今日は行っておると云う事がです。そしてもう是を言ってるのです。
今日もそれを言うのです。もう親先生がなかったら今日の上滝がなかったと。色んな苦しい時、ああ云う時に一々ご神意を頂き親先生に縋り頼らせて頂いて今日おかげを頂いて来たと云う事は分かっておる。ね。おかげであると云う事は分かっておる。分かっておるけれども、どうにも出来ないものがある。それこそ今日のお参りの途中で感じた事で、いかに自分自身が救われ助かっておらなければいけないかと云う事が分かる。
折角今日は月次祭だから今日はお参りをさせて頂こうと思いたって参ってきたけれども、ね、久留米の西鉄の所で西鉄のバスが三十分間も待たせられた。だから今日は帰ろうと思うて立ち上がった途端に吉井行きのバスが来た。もう此処の所に助かっていない人の姿が分かるでしょうが。心にね生き生きとした弾みがない。喜びがないいや魂がね、生き生きとしていない。魂が喜びに満ち溢れていない。魂が安らいではいない。
ただ自分の夢が実現する事の為に精進し努力させて頂いて一つ一つ、それが実った、花が咲いた。ね。けれどもね、ここでようやく上滝さん分からせて頂いたねと云うて今日はまあ二人で話しました。私は四・五日前から、有田和利さんと云う方の先日、選挙の事に付いて、今度立候補される有田がずとしさんと云うこの本を二冊ご自分が書かれた自分の是はまあ半生、半自書伝の様な物。是を私は読み終わらせて頂いて「上滝さんあんたとこの人がよう似とるて」私は言いました。
それは小さい時から小さくして両親を亡くして、朝鮮におられたのが内地に引き揚げて帰って来られて、姉は何処何処の叔母さん自分は何処何処の叔父さんと云う様にしかもまだ、まま母にも付いて、随分難儀苦労をの中にです、一つのものを貫いて兎に角勉強がしたい勉強がしたいで理想、願いである所の東大にも出られた。そして学者にもなろう、また、ある場合には教育者にもなろう、ある場合には、政治家になろうと言う風にその願いが一つ一つ成就していって。
今日只今では大変成功されて何とかと云うあの、何と云うですかね、あれは水清寺清子と云う歌手がおりますね。あの、歌手なんかがろう専属しておるレコード会社の現在社長さんである。しかも信用が厚いから、あの出光三郎さんとか、石橋ブリジストンの石橋さんとかというような大変なお金をもっておる方達が出世をしてそう云う会社を創設された。または大変な立派なお家に養子に行かれて、もうそれこそ、一つ一つ、だから人間はですね一心発起精進し、ね。
云うなら一寸の魂にも五分の魂があるのだと云う根性をね、フルに発揮した。そして人の通れない所をいわば通り抜いた。そして今日の成功を見た。そして今度また何とかと云う選挙に立候補されてそれに当選されるかどうか分からないけれども、そのお願いに見えたのであります。そして是を読んでくれといわれるから、もう読み出したら本当に涙なしには読まれない程しに一気に読んでしまいたい位に素晴らしい文章とその生い立ちからその、ずっと自分の苦労して来た話を一冊の本にまとめて有る訳です。
そして、私は是を読み終わってしまってから最後の所にこう云う様な事を書かせて頂いた。だから是を今日上滝さんに見せるんです。もうこの本書いてある通りにあんたもいうならば、それこそ、一生懸命やればやれん事はない。しかもこういうおかげを頂くことが出来ると云うおかげの世界だけは、到達する事が出来るけれども、おかげの世界だけではいけんのだ。ね。いうならば夢は実った。夢は実った。
ところでそれまでのことですという事だ。小さい時の夢が実った。けれども実った暁にです、ただ実ったと云うだけなのです。ね。「夢は捨てなければいけません。自らの心を本気で見つめ改まりに改まり、研きに研いて行く所から、徳が受けられます。夢にも思わなかったおかげが無限に受けられる世界が開かれえて来るのです。信心の世界に住めば、誰でも受ける事が出来るのです」ね。例えばなら上滝さんや有田さんの場合なんかは特別の云うなら根性と云うか技量と云うか。
頭脳と云うか、もっとかなければこう云う成功を収めることが出来ない。ね。一寸の虫にも五分の魂だという様な根性をフルにです、もうそれこそ心休まる暇もないと云う位の云うならば様々な問題と取り組んでそれを、一つ一つ成功にして行くと言う事はそれは大変なことなんだ。けれどもこれはこれまでのことなのだという事。上滝さんちょうど私この本を読み終わらせて頂いて裏にこう言うことを書かせて頂いておる、今あんたがここに立っておるようである。
二十年余りというものは、それこそ若い未亡人を押し通して、百姓をしながら商売をして、そして子供達を大学にまでやって、それこそ男が居ったって難しいという生活を遣り抜いただけではなくて。しかも最後にはこう云う立派なご普請までして、最近ではそれこそ合楽風に、もうこちらからこちらさへにずっと、その庭で取り囲まれる様な立派なお庭も作らせて頂いて、孫達にも兎に角おかげを頂く様にと云うて、もうどうでも総一郎という名前をつけんならんというてから、長男は総一郎と云うのです。
親先生の名前を頂きたい。ね。息子は徳蔵か家の父の名前です。と云う様に合楽風におかげを頂いてもうそれこそ形の上でなら、小さい合楽と思われる位に何不自由ない程しのおかげを頂いておるけれども、云うならばその様に夢が実現したけれども、どっこい寂しゅうて寂しゅうてたまらない事に気付いた。あれが成就是もかのうたと云う事になって来た。だからそう云う例えば、おかげを受けると云う事だけではなくてです、ね。その魂がです、なら今までの、例えば根性を持ってです。
是は私がしゃんとしなければ、家は潰れるぞと、そこで本気になって、一生懸命になったと云う家も起こした、息子達も立派に育てあげた、おかげで嫁もそれぞれにとる事が出来た。家も立派に普請が出来た。庭も立派に出来た。所が今度はどっこいその中にある自分自身があれを見てもこれを見ても本当におかげおかげとは思うけれどもね、おかげの躍動がない。今日月次祭だからお参りをさせて頂こうと、久留米まで出て来たけれどもたった三十分間が待ち切れない様に心がイライラする。
もう帰ろうと立ちあがった途端に吉井行きがきたというのです。いや本当に上滝さんまだあんたが神様から見捨てられていない証拠ばいち。今ね私は小倉の富永さん今そこで、あの、ご理解を頂いておられました。そこの田中さんが二度目のお参りをされておりました。それで、まあ二人の話しを色々と例にとって話した事でした。田中さんもね、今家庭にそれは素晴らしいおかげの受けられる日頃の信心にこん時に物を言わせねばと云う様な事が起きておる。
ところが主人を見ると大体は、土木建築なんか請け負いしもされる位だから度胸は大変あられるお方なのですけれども、さあ愈々家の事子供の事になったら、もう青菜に塩を掛けた様にしとるのが見ちゃおられないち。お父さん心配しなさらんでもと言う立っちゃ通じない。親先生に御取次ぎを頂いて御願いをしておる事だから、夕べも遅うに参らせて頂いたら親先生はこうこう仰った。夜も眠られん位にある。そこに始めて信心の有るものと無い物の違いをまあ、感じたとこう云う訳である。
富永さんも朝の内から電話を書けて御繰り合わせを御願いしてからの今日は参拝して見えた。昨夜、富永先生が、お前はどうもこの頃月の何回かの御参りがね、前の様に一つも心に喜び、躍動が無いごとあるねち。お前がそう言う事になって来たらね、私の仕事の上にもう、一々手違いが起こって来ておる事にこの頃起こって来ておる事に気が付いた。もう今までかつてない事が起こって来る。それは他の人達の例えば診察とか、手術のし損ないが沢山ある訳です。
けれども、それをやはりそうである所の自分の責任にならなければならないが、先日も実はこう云う事もあったが今までかつてこう言う事があった事がない。お前が一生懸命の信心をしておってくれておる時には一つ一つを御取次ぎを頂いてくれての事だから、いわばメスをとるにも安心してメスを取る事も出来るのだけれども、最近は私は手術の度びに不安を感じるち。こげなこっちゃいかんぞ、こげな事じゃいかんぞと、思うて、今日の御月次祭に改めてその事をお願いする積りで出て来た。ね。
私は此処で丁度でがけに是は頂きましたからと言う手色んなお供えを持って来ておったその御供えの中に、小さいこぶ茶の御供えをしてあった。是出がけに頂いて来たと。珍しいと言うて頂きました。それは梅干の入った昆布茶です。私はもまだ聞いた事がない。梅干のはいった昆布茶を頂いておりますから、出がけに頂いたから、親先生に召し上がって頂こうと思うてと言うて持ってみえた。だからこれは喜ぶ云う。
是は昆布茶は喜ぶと云う事だけれども、信心の喜びにはこの梅干がいる。辛抱がいる。ただおかげを頂いて有難いやと言よるとはあれは本当の有難いじゃない。いやそれ所か反対の様な事が起こって来てもです、ね、どこから湧いて来るか分からんと言う喜び、この頃は秋山さんが感じられたと言う、はあこの喜びを持って、この24日のあちらの宅祭りの奉仕させて頂こうと言う様なもう不思議でたまらん。心が生き生きと踊ってきた。ね。それも佐田さんが、ああ云う様な災難にあいながら。
それが嬉しゅうして嬉しゅうしてと言われる、その気持ちが分からん。どう言う信心すりゃ、ああ言う様な事になって来るのだろうか。あれだけ沢山、云うならば、倉庫が丸焼けと言う事になっておりながらです、まあご主人の態度といい、奥さんのお話しを聞いておっても嘘ではなかろうごたる、本当に信心の喜びちゃここにあると言う事が、そう言う喜びが、どこから湧いて来るだろうかと思うた。ね。1日掛りでようやくそこん所がです、いわばこみ上げて来る様な喜びに浸らせて頂いた。
帰った家族中の者にそれが響いていったね。其処ん所をですだから言うならば喜びと云う信心の本当の喜びと云う物はです、辛抱しぬいた向こうにあるのです。富永さん丁度この昆布の御供えのこれですよと。喜ぶだけじゃでけん、その喜びを頂く為にはやはり梅干の信心辛抱がいるのです。昨夜ね丁度、昨夜のご祈念が幹三郎が当番で御座いましたから。私はこちらから幹三郎のご祈念を頂き、幹三郎の話しを聞かせてもろうた。短い教話の中に、ね、信心をさせて頂いておってもです、
言うならば本当な事が本当に見えて来ない、ね。そして本当でない事を本当かの様に思うと言う時がありますと。その時に自分の心を本気で見つめて見るとです、何物かに自分の心が捕らわれて折る時ですというております。私はそれを聞かせて頂いて確かにそうだと思うたから、それを書かせて頂いた。ね。本当な事がです、本当に見えない。そして、本当でない事が本当かの様に見える。そこには信心の喜びもなからなければそれこそ、ね、助かろうにも助かり様のない結果になってしまうんだ。
そう言う時にはです、自分の心を愈々深く見詰させて頂くとです、自分の心に捕らわれておる物がある。何物かに捕らわれておるのだ。と言う話しをさせて頂いたら富永さん、感動されたのです。今日もこちらにこらせて頂く時に久留米そして、あの荘島を通って来る時にです、元荘島に住んでおられたから、このバスの停留所から毎日母が合楽合楽と言うて、合楽通いをさせて頂いた。当時の椛目通いをさせて頂いた。
ああ云う生き生きとした一分一厘間違いのない神様を頂いての有り難さと云う物をです、私共娘も確かに親から継承して受け取っておったかの様に思うておったけれども、所がです、私の心がどうしてこんなに開けないのか寂しいのか、心が神様に言わば、向かないのかと言う事をです思わせて頂いた。今日もバスで来る道々荘島を通る時にです、はあ、ここから何時も母が乗りよったと思うた途端にまた心がジメジメ言わば暗くなって来たと。親先生仰る通りですよ。
私の心ははあ、おかげ頂いたおかげ頂いたと言いよるけれども、ここに母がおってくれたならばというものがです、それに捕らわれて追ってしまって居る事に気がついた。四・五日前にこちらに帰らせて頂いておる所に丁度兄弟が全部集まった。久留米の妹ともこさんと言いますが、御兄ちゃん私この頃、御母さんの夢を次々としかも、まざまざと見ると。ね。昨夜もね姉ちゃんこう言う御夢を頂いたとよと言うて話す。
だから是は合楽に参りゃないけん、参りゃないけんと思うておるけれども、合楽に行くと、あまりにも生々しい、御母さんの言うならば、何物かがあって悲しくなる。教会にお参りをすると。だから御参りをしきらんでおると。そういう事があるもんか、お参りをせなといいながら、自分自身もやはり同じである。所がその御夢がです、御母さんあなたは死んでおりなさるとじゃろうがと言うたら、そうよて。私はね、合楽があるからあんた達のごと安心してると言わっしゃった。
後に残っておるものごと、合楽があるから安心してこちらにきて居ると。こちらには私達でなからなければ出来ない、大変な御用があって忙しいち言わしゃった。ね。その話しをさせて頂いたら上滝さんが今日は偉い感動を見せました。ね。私は何時も言うのです。あんたの所は改式もなんもせんなら、是程合楽の為にあんたの所のお父さんの御霊様が働いておるのにその御霊の働きと云う物をあんた達は感じ切らない。言うならば神様の御用であちらで一生懸命の御用が出来ておる。
ならもうこちらの事はならあんたの所のお父さんでも、ね、合楽があるからと言うて安心しておる。ね。そう云う様なお話しをさせて頂いたね。お互いです一つ今日の上滝さんじゃないですけれども、本当に夢が実現する。それはならおかげおかげと言うてですね、愈々の時にはご真意を頂いて、お願いをしておかげを頂いてその、全部がまあ言うならばです、整うた。成就した。夢が実現した。
けれども夢が実現した時には自分自身は体が弱っておる。いや心の中にはどうにも出来ない寂しさが一杯だと言う事なのです。ね。ですから私はに二、三日前にも朝の御祈念の時に申しました事でしたけれども、ここで本当に自分自身が助からなければ、私が助からなければと言う思いでここに通うて来ると言う事はです、愈々魂が清まり、魂が休まりね、魂が光りを放つ程の事をおかげを頂かせて頂く為に心が光って来る。
心が安らいで来る。生き生きとした心の躍動に伴うておかげが伴うて来ると云う様なおかげでなからなければならない。ね。自分の夢が実現したと言う事は唯それだけの事。ね。自分の夢が実現するとじゃいかん。神様の願いが私共の上に掛けられておるその願いが成就すると云う事は、私共自身が本当に助かると言う事なのだ。私の助かりと言う事を願いとし、求めなければならない。
それには一寸の虫にも五分の魂だと言う、その根性がいるのです。心があるやらないやら、自分の心が汚れておろうが、汚れておろうが一向にお構いなしと。ね。片島せんと言う、大変御神徳を受けられた先生が大阪地方のにおられた。ある時に、大変大きな御手洗い鉢の御供えが来た。この方はもうそれこそ神様に申し上げる事、一言一言神様のご返事を下さると云う程しの、御神徳を受けられた。ある時に神様がね世界中の氏子に話がして見たいと仰ったそうです。世界中の氏子に話がして見たい。
けれどもね聞く耳を持たぬからせんに及ばんと仰る。と言う事はね世界中の氏子に人間の幸せの全てを与えたい。与えたいけれども受け物が無いからせんに及ばんと云う事にでもなるのじゃないでしょうか。ある時に御手洗い鉢のお礼を申されたと同時にどうぞこの御手洗い鉢の水がです、毎日毎日空に成程しの沢山の信者氏子を御引き立て下さいと言うてお願いされたら、何時ももうそれこそ、打てば響く程にご返事を下さる神様が知らん顔をしてこちらを向いて下さらんと言う感じであった。
直その事をお詫びさせて頂いてその事をお願いなさいますと、神様からね「このお手洗い鉢の水がいやがる様にです、ね、この御手洗い鉢の水でです手を口をゆすぐじゃなくて、ね、心を洗ういわゆる精心である。心を洗わせて頂きたいと言う氏子をお集め下さいと云うて何故願わんかと云う事です。だから神様の願いはそれなんです。世界中の氏子に話がして見たい、世界中の氏子に人間の幸せの条件の全てを与えたい。
けれどもです、ね、それを与えたいけれども受け物が無いからせんに及ばんのであり、魂の言うならば助かりを願うて来る氏子はないと云う事はないと云う事は、神様に取ってこんなに悲しい事はないと云う事です。今日の私上滝さんの場合なんかは、もう本当に唯、御取次ぎを頂いておかげを頂いてもう是程の夢が実現したと言うおかげを受けただから、おかげを受けたと云うだけではです。
それはならあの世までも持って行けれる物でもなからなければ、愈々子の代孫の代にそれが伝わって行くかどうかも分からんのだと。此の様に不安定な事はない。その何とはなしの不安定が自分の心の不安定ともなり寂しゅうなり、わざわざ御参りをさせて頂いておっても、たった、三十分間まっとりゃ待ち長ごうて、もう帰ろうかと云う位の生き生き、それは今日も申しておりました、あの私は全ての事に感謝をすると言うこう言う。第一嫁御には本当に感謝をすると。
だから嫁御は大事にしてくれる。だから嫁ごに感謝するだけではいけんばいて。嫁ごを通して神様に感謝する、その感謝の心がね、合楽通いと言う事になって来なければ唯、嫁ごが大事にしてくれるだけで神様は一つも大事にして下さらん。ね。そこからですね。焦点を愈々もうあんたは、もう合楽に移住しとったっちゃ良かっちゃないかと。内にばばしゃんもおござゃりゃあ、子供達も大きなったし、孫ももうて入らんし、息子達の出来は良いし、食べる事に不自由は無いし。
あんた朝からここへきとって、本気で信心の稽古をしておっても良いじゃないかと。もうそれを今日はなにか、本当にこう何か、合点しながら聞いてくれた様な感じなのです。なら上滝さんではなくてもです、やっぱり自分の事が成就する事の為にただ一生懸命お参りしよると言うだけの事ではいけない事が分かります。ね。先日から頂きます様に云わば千寿万力と言う事を頂きます。千の寿に万の力と言う事。ね。だから万の力を頂いて千の寿を頂いたら楽なんです。だから心が安らぐのです。ね。
愈々心の言うならば安らぎを求めて、言うならば魂の今日私あの、お野菜の中に紫色の三つ大きななすびなんです。あれは毎年綾部さんがた、京都から送って来るて、こんな大きななすび、今日それをもってみえる。あの拝ませて頂いてあれは光っておるですけれども、こうぱっと野菜の中から、冷や汗を感じる様な物を御祈念をする時に感じるのですよ。ね。いわゆる紫といえば安心と仰る。
今日はだからこの安心を目指しての信心を願わなければならない、皆にも伝えさせてもらわなければならないと思うて今日の話を聞いて頂いた。一寸の虫にも五分の魂。魂そう言う、根性をまず持たなきゃいけん。ね。そしてその魂が愈々生き生きとして来る。喜びで躍動してくる。ね。魂がいつも安らいでおるというおかげ。その安らいではいない、喜びがおかげと分かっておると言われる上滝さん。
皆親先生のおかげと分かっておるけれども、喜びが湧かない。分かっておるだけではいかんね。どこから湧いて来るか解らない。それは愈々魂の清まり、魂の云うなら安らぎを願うての信心。所が安らぎがない喜びが湧かない。そこには幹三郎じゃないですけれども、何者かにその魂が捕らわれておるからだという事。本当な事が本当の事として解らない。そして本当でない事がいかにも本当の様な道を歩いておるから、何時まで経っても喜びがわかん。安心が生まれないね。
この心の云うなら魂の安らぎとか喜び。それが言うならば今日、私最後にここに書かせて頂いておる様に、無限のおかげを頂けれる世界に住み替えとう行く事が出来る。ね。此処ん所を願わなければいけない。ね。それは、今のままでもね、上滝さんじゃないけれども、あれも成就した是も成就したと言う様なおかげが頂いた暁にですよ、ね、本当に言う事ない程しのおかげを頂いておるのにも関わらず喜びがどうして湧かないだろうかと云うたら、是は、悲しい事です。ね。
例えば是を信心のない人や薄い人が是を見たならば本当に私は弧れを一気に読ませて頂く程しに感動的に綴られております。成程、人間のいわば一心発起の信心とはこう云う事だと思うです。ね。けれども、是は有田和利さん、一代の事であって、是はあの世にも持って行けれる物ではないと言う事。人間誰しもけれども、誰でもなれんて。この人は特別の頭脳をもっておられるのだから。けれども是は誰でも一寸の虫にも五分の魂があるんだとその魂を見極めてその魂の清まりを願うて行くならばです。
是は誰しもが受けられるおかげの世界ね。此の方がおかげの受け始めであって、みんなもこの通りのおかげを受けられると言うおかげが受けられるのがお道の信心であります。それにはまず自分の心の魂を見極める。どうしてこの魂がこんなにも寂しいか。自分ながらどうしてこんなにイライラするか腹が立つか。どうして心がこんなに暗くなるかと。それはです、本当な事を習いながら、本当な事が見極められない物がある。それは何者かに自分の心がです、捕らわれておるからだと云う事。
はあお母さんがどうして死んだじゃろうか、はあおかげおかげと言いながら、お母さんがどうして、まだその気持で捕らわれてしもうておるから、喜びがその、全部吸収されてしまって、喜びが湧かないと言う結果にしかならない。そこん所お母さんあの時には悲しい事であった、苦しい事であった。けれどもあなたが亡くなったおかげで、私はこう言う信心が出来る様になってこう言う、魂の喜びの生活が出来ておるんだと云う所までいかなければ信心が稽古をしておると言う事は私は言えないと思うです。
どうぞ。